お盆休みも今日で終わり、明日から出勤という方も多いのではないでしょうか。世間のお休みとは関係のない仕事をしております管理人KはみなさんのFacebookやTwitterなどの投稿を見ながら、お盆休みを感じていました。
今年も管理人P氏のたいら七夕まつりから、いわきおどり、じゃんがら、いわき回転やぐらの投稿は素晴らしかったですね。
とくにじゃんがらの写真は迫力ありました!
じゃんがらは、いわきの人には説明不要かと思いますが、いわきの郷土芸能であり無形民俗文化財にも指定されているものですね。毎年8月13日から15日にかけて新盆のお宅を供養してまわる念仏踊りのこと。
でも実は東京近郊の人にとって「じゃんがら」という単語からイメージするのはラーメンなのです。あの有名店「九州じゃんがら」。
1984年(昭和59年)に東京・秋葉原に一号店が開店した人気ラーメン屋さんです。この頃はラーメンブームという言葉が出始めた頃ではないでしょうか。ラーメンというものが注目されはじめた初期の頃から「九州じゃんがら」の名前は先頭を走っていたように記憶しています。
この「九州じゃんがら」ですが、九州でラーメン屋を成功させて東京に出店させたわけではございません。九州に「九州じゃんがら」というラーメン店は存在していないのです。
●九州じゃんがら 店舗一覧
九州じゃんがらラーメンが誕生した経緯
九州じゃんがらのWikipediaの説明を箇条書きにして紹介させていただくと
・当時、慶應義塾大学の学生だった下川高士氏が学習塾を開いていた
・お金がない家庭のお子さんは授業料を免除し、ボランティア化してついには塾の運営基盤が揺らぐ事態となった
・収入源として昼はラーメン屋をやることを思いついた
・下川氏は熊本で生活していたことや、スタッフも九州出身が多かったためとんこつラーメンをはじめた
子ども想いの流れ、人を大切にしている流れは今も店舗に残っています。
こんな言葉をはじめとしていろいろ店内に貼られているのです。
「ゆっくり ゆっくり 時間をかけてね 友達は必ず 必ずできるか」
九州じゃんがらというラーメン店が東京で誕生した経緯はわかりました。何故とんこつラーメンなのかもわかりました。
しかしネット上でどれだけ探しても、何故店名が「じゃんがら」なのかが分かりませんでした。
九州じゃんがらは何故じゃんがらという名前なのか
九州じゃんがらの店名の由来は何なのか、ネットでいくら調べても出てこないとなると、お店に訊くしかありません!
しかし!未だに超人気店の九州じゃんがらに電話で訊くわけにもいかず、管理人Kお店に行ってみました!表参道の店舗です。
しかし!2年前の話しです・・・九州じゃんがらに行って店名の由来を訊いてきたのは2年前の夏のことなのです。その後、調べるのに時間がかかり、ブログ記事にするタイミングを逃し今日になりました

とりあえずはラーメンをいただきます!
九州じゃんがら トッピング全部のせ!明太子のかたまりが効いてます!お肉もとろっとろ♡
九州じゃんがらでラーメンを食べたのは、この日で3回目くらいだったと思うのですが、やはり美味しいですー。
美味しいラーメンをいただきながら質問するチャンスをうかがっていたのですが、カウンターの中の人はとにかく忙しい様子で話しかけるどころではありませんでした。それにどうみても若いバイトさんばかりなので、店名の由来を訊いてもご存知なさそうです。
ふと背後に感じた人の気配は、レジにずーっと座っているおじいちゃんです。お店の主のような感じで座っていました。
チャンスは一回。お会計をしてお店を出るときですね!がんばりました私!
お会計をしながら
管理人K 「ごちそうさまでした。美味しかったですー。お店の名前、なんでじゃんがらって言うんですか?」 (唐突すぎw)
おじいちゃん「長崎の平戸にね、じゃんがらって踊りがあるんですよ。そこからです。」
ガクっ・・・ 当然ながら管理人Kはいわきのじゃんがらから店名をとったという答えを期待していたので、ちょっと残念。
おじいちゃんはさらに続けて
おじいちゃん「そういえば東北にもじゃんがらってお菓子があるらしいですよ」と・・・。
違う・・・それは、いわきのじゃんがら念仏踊りがあって、そしてみよしのじゃんがらってお菓子はそこからとった名前なのに・・・
と言うことを説明したかったのですが、他のお客さんが食べ終わり会計にきたので、管理人Kの取材、あえなく終了

長崎平戸のジャンガラって?
とりあえず、九州じゃんがらは長崎県平戸のじゃんがらという踊りから店名をとったということは分かりました。
で、平戸のじゃんがらって?
帰ってきて調べてみましたらありました。じゃんがらというよりも「平戸ジャンガラ」として名前がでてきます。それもカタカナです。
*平戸のジャンガラより引用
長崎県平戸市内の九地区に伝承されている念仏踊で、毎年八月十四日から十八日にかけて、祖先供養・五穀豊穣祈願の芸能として各地区ごとに奉納されている。
お盆時期に祖先の供養という点はいわきのじゃんがらと同じですね。
その起源については定かではないが、志々伎【しじき】神社の神田領民が豊年祈願の踊りとして神社仏閣に奉納したのが始まりと伝えられ、近世初頭の平戸イギリス商館の記録や平戸藩の記録類から、少なくとも戦国時代以前から行われていたと考えられる
平戸のジャンガラに関して紹介されているVTRがYouTubeにもありました。
リズムはいわきのじゃんがらとは違いますが、太鼓と鉦を使っているところは同じですね。全体的な動きのイメージも似ているようです。
平戸市役所のホームページには平戸ジャンガラの起源についてこのように書かれています。
起源については定かではありません。一説には「朝鮮半島より伝わった」ともされています
いわきのじゃんがら念仏踊り・平戸のジャンガラ・沖縄のエイサーの関係は?
沖縄のエイサーの起源がいわきのじゃんがら念仏踊りという説はわたくしも以前より聞いていました。
沖縄エイサーのWikipediaでは
東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。
いわきのじゃんがら念仏踊りの起源も諸説あり、
起源は江戸時代にまで遡るが由来は諸説あり、江戸時代前期の浄土宗の高僧祐天上人(現在のいわき市四倉出身)が、村人達の慰安と念仏の普及を兼ねて南無阿弥陀仏の称名を歌の節にあわせて踊りと共に唱えさせたのが始まりとする説、かつて市内各地にあった、老人たちによる月念仏講から派生したとする説などが伝わる。
なお、鍋田三善が天保年間に記した「晶山随筆」では(やはり現在のいわき市出身の)袋中上人起源説、祐天上人起源説などに触れており、すでに江戸時代末期には、その起源が不明確であったことがうかがわれる。
もうですね、どれも不明確ばかりで分からんのです

いわきのじゃんがら念仏踊りと平戸のジャンガラを関係づけるような内容は、わたくしの調べられる範囲では見つけることができませんでした。
でも、同じじゃんがらという単語で、先祖の供養という目的で、あの音にあの踊り、偶然に東北のいわきと、長崎県の平戸で似たようなものが誕生したとは思えないです。
袋中上人のWikipediaにはこうもかかれています。
『袋中上人絵詞伝』では西海、すなわち九州で便船を求め渡海したとしている。袋中が出航した港についての記録はないが、『琉球神道記 巻末 袋中良定上人伝』では『寤寐集』にある平戸の法音寺に立ち寄った記事によって[4]、『檀王法林寺 袋中上人 - 琉球と京都の架け橋 -』では『琉球神道記』の稿本奥書にある平戸から帰国したと言う記事によって[5]、出航したのは平戸(現在の長崎県平戸市)ではないかと推測している。
袋中上人はいわきから明(中国)に行こうとしていて、その途中で沖縄によってエイサーが誕生したという説までは出ているわけですし・・・
さらに袋中上人は平戸にも寄っているらしいですし・・・
いわきのじゃんがら念仏踊り・平戸のジャンガラ・沖縄のエイサーの関係をはっきりと裏付けるものはありませんでした。スッキリしない結末でごめんなさい。
袋中上人が明(中国)に行こうとして、その途中立ち寄った平戸で平戸のジャンガラが誕生し、沖縄でエイサーが誕生したって推測ではだめでしょうか?

九州じゃんがらの店名の由来を知りたいというのが目的だったので、それは達成できた感じですが、なんともスッキリしない形でおさまってしまいました。いわき市外在中管理人K、調べられる範囲にも限りがありますので、いつの日かゆっくりといわきの図書館に住み込んで調べてみたいと思います。
とりあえず、とっても美味しい九州じゃんがらラーメンの画像を最後に貼りつけておきます。
2015年08月16日 20:39 │